診療日誌

2015.10.22更新

うつ病の疑いのある人には必ずSDSというチェックリストをやっていただいている。そこでは必ず希死念慮の項目をチェックする。万が一希死念慮がみられるようであれば、その程度を聞くようにしている。行動化の可能性がなければ、とりあえず一安心であるが、必ず{家族や周りの人に迷惑をかけるから、そのようなことは絶対に考えない}ように話しをしている。
そのようなうつ病でない人でも{どうして生きているのかよくわからない}という人たちがいる。そのような人にはこんなふうに話したことがある。<生きている意味は生物学的には子孫を残すことにあるだろう。生物学的意味以外の人間的な生きる意味となると、それは哲学的なものであって、今もってはっきりとした答えのあるものではない。しかし、多くの人は現実的には生きる意味を見つけている。それはごくごくあたりまえのものであって、自分の家族であったり、自分の仕事であったり、友人であったり、自分の趣味であったりする。多分今まで大切にしていたものを失い、こころが疲れてしまうと生きる意味がわからなくなってしまうと感じるのかもしれない。だから、あまりあせらないでこれから自分にとっての新しい意味を探していくようにすればいいのでは。見つかればそれはそれで非常にいいし、見つからなくても{生きているだけで幸せ}と感ずる人はたくさんいるのだから、欲さえ出さなければ、普通の人生でもこれはこれで幸せなんだと思えるようになれるんじゃあないのかなあ。>

投稿者: 湘南こころのクリニック

2015.10.12更新

統合失調症の方は原則一生薬を飲みつづけることが必要である。しかし病識の乏しい方や薬を嫌がる方に<一生薬を飲んでください>と言うのはなかなか気がひける。最近は科学的なエビデンスを求められることが多いが、薬を一生飲まないといけないという実験的な証拠があるわけではない。われわれ臨床家がふだん<多分そうであろう>と経験していることにすぎない。エビデンスというと逆の結論を示したものがある。最近のものではないが、薬を飲んでいても6年ほどすると再発率が{薬を飲んでいない群}とほぼ差がなくなってしまうというものである。以前私はこの結論から<とりあえず6年間は薬を飲みつづけてください>と患者さんや家族に説明していた時期がある。はたして6年間良好な経過を示した患者さんが薬をやめると案の定、再発するに至ってしまった。これに懲りて最近はできるだけ数字にこだわらないようにしている。エビデンスは必ず、ある一定の条件のもとでおこなわれていたものである。結論だけを見て、それを鵜呑みにするのはよくない。また治療に関していえば時代とともに治癒率は当然変わってくる。エビデンスで物が言えないようなものに関しては、われわれの経験に勝るものはないだろう。もちろん、われわれとは個人ではなく{圧倒的多数のそれに携わっている人}ということであるが。

投稿者: 湘南こころのクリニック

2015.10.02更新

20年以上前の話しだが、ある内科学の大家が{私の現役時代の誤診率は8%だった}とのべて話題になったことがある。医者仲間ではそんなに少ないのかと驚嘆したが、世間一般のひとはそんなに多いのかと思う人が多かったという。ひるがえって精神科について考えると誤診率はかなりにのぼると危惧される。それにはそれなりの理由がある。
1つ目は詐病や虚偽性障害がある。詐病は何らかの理由があり病気を装うものであり、虚偽性障害とは動機が不明瞭であり、それでも病気を装うものである。2つ目はグレイゾーン問題である。正常と異常の境界、病気と病気の境界は線引きはあるが必ずしもクリアーとは言えない。3つ目は病気の進展である。例えば統合失調症は診断がつく前はうつ状態などの症状を示すことがあり、躁うつ病も躁状態があらわれる前はうつ病と診断されるなどの事情がある。4つ目は本人が病状をしゃべらなければわからないという根本的な問題がある。症状を大げさに話すか、控え目に言うかだけでも診断が変わってくる可能性は十分にありえるのである。
やはり20年以上前のことだが、大きな事件を起こした被疑者の精神鑑定がおこなわれ、検察側と弁護側の精神鑑定が真っ二つに割れ、あらためて第三者に精神鑑定を依頼したが、結果は三者三様であったということがあった。鑑定を依頼される人は専門家のなかでもさらに専門家の方たちである。それがバラバラということになり{精神障害を診断することはむずかしい}とみてくれる意見もあったが{精神医学に対する信頼を失墜させることにつながる}と危惧する意見も多かった。

投稿者: 湘南こころのクリニック

診療日誌